こんにちは、木ノ下コノキ(@kinoshitakonoki)です。
2016年10月に緊急入院となり、11月に難病の膠原病の一種「高安動脈炎」と診断された私の話です。
その時の心情を書いている日記です。
2016年12月末に退院し、その後4か月はその状況に耐えられずふさぎ込んでいましたが、4月からアメブロにて闘病日記を書き始めました。
その後、始めたこのブログに当時の思いをそのままに移行しました。
ひとつひとつの日記が短いので、何日かごとにまとめていきますね。
それでは始まります。
目次
難病「高安動脈炎」にかかってしまった私の話。
「2017.04.19の日記」
難病、膠原病の一種
高安動脈炎という病気と診断されて約半年。
未だに、
受け入れられない現実。
病気を受け入れて楽しく生活しているつもりが
ひどく落ち込む日が続いたり...
きっとまだ
「なんで私が」って
気持ちが先に来てしまうんだろうな。
まあでも掛かってしまったもんは仕方ないし
なるようにしかならないいし
昨年の10月、死にかけてた私が
こうして生きてる
それだけで幸せだ。
うん、幸せだ。
ワ━ヽ(*´Д`*)ノ━ィ!!!!
これから
少しずつ
病気について書いていきます。
「2017.04.20の日記 それは突然やってきた。」
突然というと語弊があるかも知れない。
今思えば、
5,6年前からじわじわやってきていたのかも知れない。
(それはまた後ほど書くとして...)
コノキは入院2か月前、
突然、股関節の痛みで歩けなくなって
整形外科に行きました。
その時は「股関節の炎症」と言われました。
ですが、
急な運動をしたり、スポーツをする習慣もない私がこれに掛かるには医師も首を傾げています。
よく分からないまま痛み止めの薬を貰い、
「念の為に」と
ヘルニアの検査を受けた結果、
「かなり軽いヘルニア」が見つかり
「痛みはそこからなんだ」と無理に納得し、帰路に着きました。
しかし痛みは消えず、
そこに前からちょくちょく来ていた目眩や目のチカチカ、手の震え、足のガクガク(これは内科で「過労、ストレスによるもの」と診断されていました)が連日続き、10月某日、先程も書いたような一連の発作が起こったと思ったら
一瞬意識が遠退き、
気付いたら座り込んだまま立てなくなっていました。
当時、股関節の炎症で歩けなくなっていた私は仕事も休み
アパートでの一人暮らしを一時辞め、実家にお世話になっていました。
これが幸いしてか、すぐに発見され
実家から近い内科(個人病院)に行くことに。
そこの医師がこの病気を疑ってくれた最初の人でした。
膠原病「高安動脈炎」は、非常に発見されにくい病気で、
主な症状に
初期段階では発熱、全身の倦怠感、食欲不振、体重の減少があり、その後炎症によって血管の狭窄や閉鎖、拡張するなどして脳に血液が行かなくなった場合、目眩、立ちくらみ、失神発作や、ひどい時には脳梗塞、失明を起こす場合もあります。難聴や耳鳴り、歯痛、頸部痛もよく見られる症状です。
この病気の別名、「脈なし病」と言われるように
脈が触れなくて、発見される場合も多いそうです。
コノキの場合もこれでした。
脈も触れなければ、血圧が測れなく、何度やってもエラー。
医師はもう一つの可能性(癲癇(てんかん))も視野に、
MRI検査をしました。
脳に異常はなく、癲癇(てんかん)でもない。
ということで、
膠原病を専門に扱う大学病院に紹介状を書いて貰い、
翌日診察に行きました。
その時の自分の状態は半分意識がなく、車椅子でグッタリ。
「即入院ね」
診察したその日、そのまま入院となりました
・°・(ノД`)・°・
つづく
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