こんにちは、木ノ下コノキ(@kinoshitakonoki)です。
前回の闘病日記で入院は5月の中旬ごろ、と書きましたが
体調がもたなくなってきて、4月28日に入院してきました。そして治療をして元気に帰ってきました。
今回、カテーテル治療が記念すべき10回目ってことで医師にも看護師さんにもおめでとうと言われました(嬉しくないんですけどね)
そしてのちに、入院のときの色んなできごとをまとめていく【入院日記】を書いていく予定です。
【入院日記】まとめ もございます
相変わらず、わたしの血管の狭窄は広げても定期的に閉じて、治療をしていかないと普通に近い生活ができません。
「立つ」や「歩く」だけでも、ほんとそれだけでもできないのが正直きつい。
帰ってきたときはすこぶる元気になって杖なし、真っ直ぐスタスタ歩けるという状態になるのに、悪いときは歩けないどころか立てないがあるからこの体ほんと不思議。
今まで、当たり前にやっていた色んなことが今は当たり前じゃなくて、戻りたいけどそれは叶わなくて、もうだいぶ前に受け入れたはずだけど、入院の度に辛い気持ちになる。もっと普通の生活とこれからの頑張りたいことを頑張れるように入院のタイミングが延びればいいなと願ってしまう。
症状まとめな記事もあるのでよかったら。
毎回治療をする前に医師と話をする機会を設けられるんだけど、その時に母が「この治療はいつまでできるんですか?」と聞いた。わたしも前から聞きたかったけれど怖くて聞けなかったこと。
医師の見解
正直いつまで、というのは何とも言えない(分からない)ってことで、今のこの時点でカテーテルを入れている付け根の血管が固くなっていて、この先いつまでその場所の血管を使えるのかも分からないらしい。
腕の血管は血管自体が細く、何度探しても入れられるような血管が見つからないそうでそこは断念されてる。
首の血管から治療をしている話を別の病気の方から聞いたことはあったが、首からの話を主治医から聞いたことないのでわたしの場合はそれはしない可能性が高いのかも知れない(医師にあとで聞いてみよう)
あとは胸を開いて、人工血管を取り付けるやり方もあるが大手術となるため、そもそも出血が多すぎるそれは「膠原病の主治医」からは即刻死ぬからやめて欲しいと言われている(言い方がいつもズバッとだが、とてもいい人)。
そして「脳外科の主治医」に母が「治療できなくなったらどうなるか」を聞いたら、
寝たきりになりますね、と言っていた。
やはりそこは外せないんだな...2016年10月末に緊急入院をしたあの時、最初は治療ができなくて寝たきりだった。炎症がきつすぎて血管の壁が厚すぎてステロイド剤を入れはじめてCRP(炎症の数値)が低くなっていくのを待って、その後やっと治療ができて立てたし歩けるようになっていった。
その後半年に一回のペースで血管が閉じてしまう。
ここ1、2年は5ヶ月や4ヶ月と間隔が狭まっている。
こうなってくると自分のこの先のことが大体想像できるよね。きっとあと何年も普通に近い状態ではいられないんだろうな、って思うからもうほんっとうにやりたいことやっていく。長年の夢を何が何でも実現させたいから
残りの人生、手芸に捧げるつもりでがんばる。
お絵かきは「趣味」として描いていく。もちろん気まぐれに新作のTシャツは発売するかもだしLINEスタンプもまだ作れてないキャラクターとかいるし、そこは臨機応変にやっていく。
これからの自分の人生、後悔しないように今を生きていきます。
そして前に「お絵かき」で使っていて放置していた「note」をハンドメイド作家として使っていこうとプロフィールを少しだけ書き換えました。(未完だけど)
まだ記事もなければ、プロフィールも未完。今後はどんなものを作っているのか写真公開、お店の公開や作り方公開などまだまだ未定なところが多いですが、少しずつ公開出来たらいいなと思います(*´ω`)
もちろんこの闘病日記はずっと続けていきます。
では、またね( *´艸`)
少し前の 闘病日記まとめです
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