難病女子の心の裏側日記

難病と闘いつつ、好きなことを楽しむブログです☆

あの震災から10年、当時のことを振り返る。

 

こんにちは、木ノ下コノキ(@kinoshitakonoki)です。

 

あれから10年、あの恐ろしい震災。

忘れたいけど忘れてはいけない東日本大震災。

 

自分は当時、結婚をしていたので実家暮らしの今とは別の場所に住んでいた(同じ市内ではある)。

 

わたしは当時、市内の工場勤務。いつも通りの朝を過ごして、いつも通りの出勤、着替えて、ラジオ体操と朝礼を終えて仕事がはじまり、10時の休憩お昼休憩を取って、午後の仕事の真っ最中、それは突然起こった。

 

少しの揺れから、激しい揺れに発展したのはあっという間だった。

他の人がわーわーきゃーきゃー騒ぐ中、わたしは必死に作ってる途中製品を押さえていた。倒れてしまったら大変、となぜか自分よりもその製品たちを押さえていたら、班長が駆け寄ってきて「そんなのいいからこの机の下に隠れて!!」と言われて、「これは大事(おおごと)なんだ...」と気付く感じがした。

 

と、今まで自分がいた場所に天井から鉄パイプのようなものが落ちてきた。

 

(危なかった...班長感謝!)

 

しばらくその机の下に隠れていたが、ある程度物が落ちなくなってきた頃だろうか、班長が「こっちこっち!」と近くにいた社員たちをドアに誘導した。

 

そこからは足早に中庭へと向かった。

途中、当時は友達で会社の先輩だった今彼を見かけて声をかけたら、気付かれなくて後日聞いたら「テンパってて気付かなかった」と、いつでも冷静な彼は言っていた。

 

最初の大きな地震の後、何度も余震がきて安全とは言えない状態で、どれくらい経ったろう...

社員全員無事という連絡を受けて少しだけ安心して、工場の建物によって被害が違うとかで、わたしの居た建物はそこまで大きな被害がなかったってことで荷物を取ってそのまま帰宅していいよってことで、「またなにかあったら大変だ」と同じ方向の人は一緒に帰宅した(わたしは徒歩通勤だったので、同じ徒歩の人と帰りました)。

 

家に帰ると、当時まだ小さかった「さくら」という名の茶トラの女の子がこたつの中の隅っこに縮こまって震えている。

さくらはあの大きな地震の中ひとりで我慢していたんだよね。

 

家の中は思ったほど荒れていなくて、というか家具も電化製品も無事で唯一倒れていたのは夫婦ふたりの写真だけだった。

食器棚の中も無事で割れた食器もなかった。

 

築40年の古い家を中古で買ってリフォームしたお世辞にも頑丈とは言えない一軒家だったけど、あれだけの地震に耐えたのは本当にすごいと思う。

ただ、屋根の瓦が半分くらい落ちてしまったのは仕方ないのかな。(あとから保険で賄えたけど)

 

そして東京電力の計画停電が始まったんだよね。

発電所が地震と津波によって被害があり、関西から供給してもらっていたとか。

東日本大震災による電力危機 - Wikipedia

詳しいことは上記を↑

 

買い物行っても食料はすぐに売り切れてて、ガソリンを入れに行っても混んでてなかなか入れられないし、待ってる間もガソリンは減っていくし、量の制限もかかって満タンなんて入れられないし、3月ってことで栃木はまだ寒くて灯油も買わなきゃででもなかなかできなくって、いつも当たり前に普通に出来ていたことができなくなっていた。

 

買いものに行っても大したものが買えないので、常備していたカロリーメイトを食べ、(元)旦那は冷蔵庫や冷凍庫の物から食べていたと思う(うろ覚え)。

 

当時から(元)旦那のモラハラが炸裂していたんだけど、それが一番露呈されたのはこの震災のときだった気がする。

 

地震が少し落ち着いてきたころ実家が心配で母に電話をしたことを知った(元)旦那。

「はあ?なに自分の実家に電話してるの?うちの母親には電話したの?」言われたとき、「あ」と思って「お義母さんにかけてない?大丈夫だったかな?」と(元)旦那に聞いたら「え、知らないよ。それお前の役割だろ?なんで自分の実家かけてるの?実家は出てうちに入ったんだから、こっちの実家にかけるの普通じゃない?向こうの両親捨てる気持ちでこっちに来なきゃ。」と言われたことが決め手となって離婚する絶対してやると思いながら少しずつ準備を進めたんだよね。

(あとから思ってもほんとあり得ないしほんとモラハラ全開旦那だよな。まあどうでもいいけど別件で昨年末逮捕されたのでいろいろスッキリした)

 

自分も咄嗟にかけられなかったのは悪かったけど、子どもが親を心配して何が悪いんじゃい!なんなら息子から何の心配もされなくて(嫁に押し付けて)お義母さん可哀そう...。

その後わたしから電話したら安心したようで二人が無事だったことを喜んでくれた(なんか分からないけどモヤモヤ良心が痛む...?)。

 

 

 

わたしの実家の方はというと、同じ市内なのに計画停電など全くなく、被害も特になく、大きな地震で怖かったーくらいしか母から聞いていない。

 

きっと「怖かった」のはみんな怖かったと思う。

ただその土地土地でその怖さは違うんだなと感じた。

 

ここ最近、テレビの映像が津波一色で、地震の怖さよりも津波の怖さを全面に出して伝えようとしているような気さえする。

 

わたしは津波の怖さは知らない。

だから津波の映像に「うわー(大変だ)」と顔をしかめながら見るしかできない。

 

でも想像をすることはできる。

もし、自分の町が、家が流されたら...

もし、自分の家族が流されたら

もし、自分が流されたら

高台に登れたとしても、その光景を見るしかできない絶望的な気持ち。

 

3.11のその時から、各地の津波の映像を見ては涙を流していた。

今でもその映像を見ると泣いてしまう。

 

「忘れたい」と思っていたそのことも

やっぱり忘れてはいけないことだと思う。

 

 

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