難病オンナの心の裏側日記

難病と闘いつつ、好きなことを楽しむブログです

もうすぐ高安動脈炎に罹って丸5年になるから経緯をまとめておく②

 

こんにちは、木ノ下コノキ(@kinoshitakonoki)です。

 

 

先日から書きはじめた闘病のまとめ、もうすぐ高安動脈炎に罹って丸5年になるから経緯をまとめておくは病気が見つかって緊急入院するまでの話を書きました。

今回は②入院してからの話を書いていきます。

 

①はこちら↓↓↓

www.kinoshitakonoki.com

 

緊急入院のその後と入院生活

死と向き合う毎日のはじまり

かなり危ない状態だったわたしは、ナースステーションから一番近い個室に入った。

 

入口から入って真ん中にぽつんとベッドが置かれ、窓際には面会用の椅子と小さめなテーブル、全く使わなかったシャワーと洗面所、看護師さんに支えられながら行ったトイレが入口近くにあった、少し広めの個室。

 

天井を眺めるしかできないくらいに意識が朦朧とし、激しい頭痛とベッドの上なのに酷い眩暈に襲われ、苦しい状態から始まったこの入院。

 

色んな検査の結果出て、医師が部屋に入ってきた。

 

あの個室に両親が居たのかどうなのかイマイチ覚えてないのだが、もしかしたら私だけで最初は聞いていたかもしれないし、覚えてないだけで居たのかもしれない。

 

「いつ死んでもおかしくないので、覚悟しておいてください」

 

そう言われて、わたしは呆然とし「え?死ぬの?え?」と最初は、理解ができなかったし、医師の話を聞いていくうちに自分のからだがどんな状態なのか理解ができた(実際その時に理解できたかは不明)。

 

鎖骨下の動脈が左右共に狭窄していて脳へ向かう血液が10%と少なく、生きている方が不思議と話していました。

 

わたしは死んでしまう??

 

その夜、やっと状況が飲み込めてきて、たくさん泣いた。

 

 

死を意識してからやったことと面倒だったこと

次の日になってもわたしは生きていた。

点滴と心電図、酸素濃度を測るパルスオキシメーターなど色んな器具をつけて今日もベッドの上。

 

酷い頭痛は相変わらずで熱も出てきて、ロキソニンも服用し息苦しさで看護師さんを何度も呼んでしまった。アイスノンをあててもらい、少しでも楽になる状態にしてもらっていた。

 

ちなみにこの時は、治療ができないくらいに血管が腫れてて炎症が酷かったときで、医師も手出しができなくて点滴くらいしか私を生きさせてる治療?みたいなことものは何もありませんでした。

 

そんな中、「わたしもうすぐ死んじゃうなら、お世話になった人に連絡したいな」と考えてた。その時は体もつらかったし、それどころじゃなかったんだけど、今までの人生で色んな人に出会って、友達もできて、仲良くしてくれる会社の先輩だったり後輩だったり...沢山の人が頭に浮かんできた。

 

「この状態から少しでも脱したら、みんなに連絡しよう」と心に決めて、その時をただただ過ごした。

 

瀕死の状態が3日ほど続き、と高安動脈炎、わたし個人の最初の症状と診断されるまでの経緯。に書かれてたので、本当に苦しんだ日は3日間なんだろう。状態は少し落ち着き、5日目くらいに大部屋に移動した。

 

その時にはまだ、「死」から「生」の方に行っていたかは正直分からなかったし、辛かった最初の3日間の間に思った「お世話になった人にお礼を伝える」を少しずつ実践していった。

 

いちばん仲良かった友人たち、会社の先輩や後輩、毎日少しづつ送っていった。

 

その中ですぐに返信くれた人、何日経っても連絡来なかった人、

今まで仲良いと思っていたのは私だけだったのかな...とひとり悲しんだり...色んな想いを巡らせながら入院生活を送った。

 

その中でも強烈な話は今でも覚えてて、闘病日記⑧(2017.05.11-05.12)「くだらん日記つづきで申し訳ない...」 - 難病女子の心の裏側日記にも書いてるけど、送った友人の彼女という女性から私を浮気相手だと思って

 

「こういうのやめてもらえませんか?」とLINEを送ってきた。(男友達のLINEから)

 

「会ったりしてたんでしょ?ぜんぶ知っているんだから!」と、なぜかものすごく怒り口調で、文章からも怒りが伝わってきた。

 

そりゃあ友達だし、会ってたこともある。男友達は前に彼女と別れたと話してたことを思い出したので、「新しい彼女さんですか?それともヨリ戻した彼女さんですか?」と聞いたら「ヨリを戻したんです!」と相変わらずの怒り口調で...

 

なぜに、瀕死から抜け出してまだ病状も良くなってない状態なのに、よく分からない女に責められなきゃならんのだ...と、この日は酷く疲れたな~

 

「私、もう死んじゃうみたいだから心配しなくていいですよ」と伝えてもなんか全然引いてくれなくて、その後無視してたら

 

その後もめんどくさいLINEが来てましたw

その後の内容は闘病日記⑧(2017.05.11-05.12)「くだらん日記つづきで申し訳ない...」 - 難病女子の心の裏側日記を読んでみてね。

 

入院当初のCRP(炎症の数値)や体の状態

入院時のCRP 7.5

正常値 0.3以下ということで、かなり高かったと思われる。

 

炎症が強く、血管の壁が厚くてこのままだと治療ができないため、炎症を抑えるため点滴と飲み薬で治療しながら様子見となりました。

 

微熱と頭痛、クラクラや目のチカチカ、ふらつきは強いものの、この時点では看護師さんに支えてもらいながらトイレに行くことも可能で、検査なども車イスに乗って行くこともできました。その他は、ほぼほぼ寝たきりで過ごしていました。

 

ベッドの角度は30度。その角度までが血液が頭に向かってくれる限度の角度と医師に言われました。直角に座ると頭に血が行かず、意識は朦朧(もうろう)としてくるため、意識しながら気を付けていました。

 

この辺りの様子はここに記載しています。

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飲んでいた薬

プレドニン60mg(炎症を抑える薬)

バイアスピリン100mg(血を固まりしにくくし、血流を良くする薬)

ネキシウムカプセル20mg(胃薬)

リピトール(コレステロールを下げる薬)

ネシーナ25mg(血糖を下げる薬)

ロキソプロフェン(痛みや熱を抑える薬)

 

治療もできず、ただただ寝てばかりで

この時はまだ炎症が引かないから、ただただ寝て過ごすしかなかったんだよね。

 

ベッドに横になっていてもクラクラするし、頭痛いし、動かないから便秘になるし...

 

時々、センノシド12mgを飲みながら腸を動かしていたのですが、それでも出ないときは出なくて、今まで便秘をしたことがなかったわたしは痛みで辛くて、寝たきりでもできる体操?みたいなものをしてたな。

 

頭クラクラでも下半身は動く!ということに気付いて、寝たきりをプラスに変えたのよ。

 

さすが、わたしだと思ったね(笑)

ピンチな時でもやれることはあるのよ。

 

ということで、ここでちょっとご紹介。

 

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この3つは覚えておくと、今後もなにかと役立ちます。(個人の見解)

これの応用編などは、もうちょっと元気になってからだし、やりすぎると逆に血流良くなりすぎて血圧が上がったり、頭痛も酷くなったりするのでほどほどに。

 

わたしはよく看護師さんに血圧上げすぎて怒られてました。

で、血圧上がると頭も痛くなってたので、「やりすぎ注意!」て言われてました(;'∀')

 

センノシドのおかげか、体操のおかげか分からないけど、便秘になる回数はだんだんと減って行きました。

 

当時のわたしの病気前の趣味が筋トレとストレッチ等だったので、動かないでじっとしてるってのが出来なかったのです...。テレビっこで家に篭るの好きだったけど、CMの間に腕立て何回できるかとか、謎の遊び?をしていたので。

 

 

さて今回はこの辺りで、また次回に。

次回は引き続き入院生活と、2回目の転機がやってくる話でもしようと思います。

 

 

※この病気の症状や薬の種類などは、わたし個人のもののため、同じ病気の方すべて同じ症状ではありませんし、患部の場所によっても異なりますのでご了承くださいませ。

 

闘病日記まとめ

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